母から電話がかかってきて広島での様子を聞かれました。
「みんなに感謝されて送られるのはいいんじゃないかな。。」って
私が言ったら、母もそうだねって。。
義理の母は最後お棺にお花を入れて蓋を閉める時、
「ありがとう。。」って言って大泣きしてた。
その話をしたら
「70過ぎても自分の親が死ぬ時はそうなのかしら。。」って。
「そりゃあいろんな人のお世話をして、畑仕事から事務もこなして、
着物もきちんと着こなす本当偉大な母だったから。。」
すると母は。。。
「うちのお母ちゃんは本当かわいそうだった。」と始めた。
母方の祖母は私が3歳の頃にはすでにぼけていた。
だから私にとってはぼけた人でしかない。
今から思うとかわいそうだけど私も本当子供だったし。
何故か知らないけど母は私にもその祖母の見合い写真だといって
写真をくれた。とても綺麗な人だったらしくて女学校に通っている時に
見初められて、中退して10代で結婚した。
母曰く、何にもできなくて何にも知らないままお嫁に行って、
最初は女中さんもいるような暮らししてたのに、若くしてお父ちゃんが
死んじゃったからものすごく苦労したのよ。
都心の大きな家に住んでたらしいけど、それもすぐ売って会社が
用意してくれた貸家に引っ越してしまった。
部屋を貸して家賃を稼ぐとかそういう発想が全くないひとだったらしい。
それで少し落ち着いてやれやれってところでぼけてしまって、
すぐに死んでしまった。
生活を全然エンジョイできなかったんじゃないかって
母は思っているみたい。
これでもう少しぼける時期が遅かったらもう少し旅行とか楽しめた
かもしれないのに。
しかも最後に入ってた病院がお世辞にもきれいとは言えなくて、
ものすごい臭いがしてとても中にいられなくて、
弟と2人で病院の庭にあったブランコに乗ってた覚えがする。
本当今から思うといくらぼけてて何もわからないからって
最後あんなところにいれられるのってひどいかな。。
それから多分1年も経たずに亡くなった。
もう30年以上前の話です。
そういう時代だったのかもしれないし。
今みんなそういう病院は建て替えて綺麗な建物になってると思う。
今回お葬式に出て思ったのです。
どんなにお金稼いでもそれ死んで持っていくことはできないし、
あんまり人に迷惑かけずにあんまり苦しむことなく普通に死にたいかも。
それで少しでも私に会えてよかったって思ってくれる人がいたら
いいかな。。